自立について

久々の更新

 

見ればわかると思うが、筆者は社会に馴染めていない感覚がある。

学生時代にも例に漏れず不登校だった時代がある。

親はやはりそのことで悩んでいたみたいで、同じように社会で躓いた人間の家族の集まりにも赴いていたらしい。

今でもその集まりにはちょくちょく顔を出しているみたいで、たまに面白い話を持ってくる。

 

先日は自立についての話をされたらしい。そのような集まりに出ている人間は社会に馴染めていない人間を家族に抱えている者が多く、なんとか自立させようとやきもきしているそうだ。

ついでに私は働いているにも関わらず、実家暮らしなので親に甘えていると、知らないところで説教を受けたらしい笑

「そんなことで恥ずかしくないのか」なんて言われそう笑

 

まあ恥ずかしくはない。

なぜなら自立とかいうよくわからないフワフワした言葉を重視していないからだ。

むしろ悪いイメージすらある。

 

曲名は忘れたが、劇場版ガンダムのⅢの主題歌に

「人はひとりでは生きられない」

というフレーズがあった記憶がある。

よくあるフレーズで、広く受け入れられている言葉だと思う。

しかし市井の人々は口では「ひとりで生きろ」と言う。

素朴に、実に不思議である。

 

そもそも、自立できている人間なんかいるんだろうか。

フリーランスで自分一人で仕事をとってきて、自分の能力で報酬を貰って生きています。なんて人は自立しているのかもしれない。

しかし、大抵の人間はそうではない。

現代の多くの人間は雇われらしい。ちょっとググると、就業者に占める雇用者の割合は9割近いそうだ。

この人たちは偉そうに説教垂れるほど自立した人間なんだろうか。

 

私も雇用者の一人であるが、説教されるほど自立していない駄目な人間と評価されるわけだし、働いていることは大して重要ではないのだろう。

では家族から離れることが自立しているということなのだろうか。

どうも、世間ではそういうことを自立というらしい。

家族に対しての支出が大きい場合は例外的に認められるが。

 

家族と離れることが自立と捉えられているが、それに意味はあるのだろうか。

多くの人間が勘違いしていると思うのだが、働くことで給金が貰えるという観念が蔓延っている。

そのせいで、家族と離れて暮らせば、自分で働いて生活を成り立たせているという錯覚に陥るのだろう。

実際はどうだろうか。自分のパトロンが家族から会社に変わっただけのことではないか。

多くの会社の給金は出来高制ではないと思う。つまり労働の有無は関係なく、会社員であるという立場によって養ってもらっている状況に過ぎない。

子供という立場で親から養ってもらっている状況とそんなに差があるんだろうか。

この会社員の状況を自分でお金を稼いでいると勘違いした人間が自立なんてことを言い出す。

あれほど「ひとりで生きられない」という言葉が蔓延しているというのに。

 

ちょっと考えてみて欲しい。君たちが家族と離れることで得られるものは何だろうか。

私も一人暮らしをした時代もあるが、精神的になにか上等なものになった気はしない。

むしろ、雑務を手分けで処理できないために余計な時間やお金をかけるばかりだった。

実家暮らしでなければ、このような文章を書くこともなければ、読書や思索にふけったり、気軽に遊びにでることも少なかっただろう。

実際、趣味のツーリングは実家暮らしになってからの方が、圧倒的に回数が増えている。

自立によって得られるものに、煩わしい家族からの解放以外のものがあるなら教えてほしいくらいだ。

 

自立を良しとする社会で得をするのは、真の自立した人間と事業者だ。

我々が余計な時間や労力を使うことで、資産を築けず、貧困の連鎖を続ければ、労働者の安定的な確保に繋がるだろう。

あるいは真に自立した人間からすれば、社会で自立がよしとされていれば、自身の評価が上がることになり得をする。

 

自立という言葉を良しとすることで苦しむのは我々、平凡以下の人間である。

コミュニケーション能力が重視されるのは人間同士で協力して生きていくためでしょう。

なぜ既に獲得した人間関係を大事にしないのか意味がわからない。

野生動物の多くで片方の性が放浪することと関係がありそう。理屈ではないんだよな。

理屈で考えれば、不合理だと思うが。